断髪令

明治になるまでの断髪は特殊な階級に限られており、時には罪人をも意味した。また、髷は武士の魂灯され、切り落とすことはかなりの抵抗があった。
1868(明治元)年ごろの男性の髪型は、断髪はまだ一部で、結髪も存在し、当時の理髪風俗は非常に混乱していた。
しかし、1871(明治4)年に太政官布告により「散髪・・・脱刀とも勝手たるべし」という、欧米風の断髪を半ば強制する断髪令が出され、断髪が奨励された。当時、これを散切りあるいは斬髪などといった。1873(明治6)年、天皇自らが断髪したことで、急速に普及し始め、文明開化の象徴となった。